誰でもデジタル時代のマーケティング思考 第6回 “知的関心力”がマーケターの未来を決める

誰でもデジタル時代のマーケティング思考 第6回 “知的関心力”がマーケターの未来を決める

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デジタル新時代のマーケティング考とは

近年、日進月歩のデジタル技術、生活やビジネスへの浸透が年々顕著なデジタル・デバイスの普及、COVID-19感染拡大による生活様式の変化に伴うデジタル・シフトの加速、これらによって限られた人々の限られた範囲や用途での「デジタル」活用から、オンライン、オフラインを問わず広範囲な情報をデジタルで統合した形で、多くの人が利用可能となる総デジタル化社会ともいえる時代に近づいています。

膨大な情報をデジタルで管理・活用していくことが当たり前となる「デジタル新時代」に向けてマーケティング周辺でも、AI/機械学習、CX、DX、OMOなど、新たな取り組みが活発化しているのは周知の通りです。

Unyoo.jpでは、そうした「デジタル新時代」だからこその「マーケティング」について思いを広げていきたいと考えております。

-Unyoo.jp編集長 佐藤康夫-

これまでの連載を振り返る

本連載では、マーケティング/人材育成プランナーであり青山学院大学経営学部講師である山本直人氏を迎え、この「デジタル新時代」にどのような思考で「マーケティング」と向き合うべきか、皆さまのマーケティングスキルの習熟度をひも解きながら、あらためて「マーケティング」の基本をおさらいしていきます。

今回で最終回となりますが、ぜひ第1回から振り返ってお読みいただければ幸いです。

連載 第1回「“オートマ+カーナビ”環境で、マーケティング人材は 育つのか?」はこちら

連載 第2回「『観察=独善』と言うなかれ」はこちら

連載 第3回「ターゲットは“当てる”のではなく“描く”気持ちで考える」はこちら

連載 第4回「ポジショニングは“差別化”よりも“納得化”」はこちら

連載 第5回「顧客の“問題認識”をもっと掘り下げよう

マーケターに求められる生活習慣はあるのか?

この連載ではマーケティングのスキルについて、「一度立ち止まって考える」ことを目的としてきました。 
「誰でもデジタル」が大前提になったいま、一歩先を行くためにはもう一度足元を固める必要があると思うからです。 
そして、とりわけ大切なのは、「人の心と行動」をどのように捉えるか?と考え続けることでしょう。

もちろん技術の発達によって「人の心と行動」についても、さまざまなことが明らかになり、施策に反映されています。
複数の広告表現をテストし、価格を変化させ、製品やサービスを改良することで、知見は蓄積されます。 
ところが、「次にどうするべきか?」に明快な正解はありません。だからこそ優れたマーケターは、無意識のうちに人の心や行動について思いを巡らせてます。

考える女性

四六時中仕事のことを考えることは、たしかにストレスになるかもしれません。しかし、マーケティングの仕事は日々の生活と密接に結びついてます。 
ちょっとしたニュースや街で見たこと、あるいは会話の中からいろいろな気付きを得ることはできます。自分の仕事と関係なくても、「人の心と行動」に関することには自然に関心を持つことも大切ではないでしょうか。

実はマーケターにとっては、こうした「知的関心力」がとても重要だと考えます。分析力、論理性、計数能力、課題解決力……こうしたスキルは重要なことは百も承知でしょう。

しかし、それ以上に「知的関心力」を常に磨いておくことが、マーケティングの仕事には欠かせません。そのためには、何らかのカリキュラムにしたがってコツコツと学ぶというより、日々の生活習慣に留意することが大切でしょう。

知的関心力

ここでは、マーケターが知的関心力を磨くための行動を、3つの視点から考えていきたいと思います。

習慣1:常に「自分ならこうする」と考え続ける

私は会社員時代に、入社面接をなんどか担当しました。その時に、「これだけは必ずしつこく聞く」と決めたことがあります。 
それは「自分ならどうする?」「自分ならどう考える?」という視点で訊ねることです。

学生は必ず、「自分がしてきたこと」をアピールします。そこで何をしたかを聞いても、あまり差はつきません。こういう時にはまず「なぜそれに取り組んだのか?なぜ好きなのか?」を訊ねます。

たとえばサッカーが好きな学生はたくさんいました。みんな、熱心に語ります。そういう時には、こんな質問をしました。 
「いまワールドカップの前に日本代表の監督を交代させるべき、という意見があるけどどう思う?」 
もちろん、答えはどちらでも構いません。しかし、本当にサッカーが好きな人なら、真剣に考えているものです。こういう時に自分の言葉で話せる人は、志望理由などにも説得力があります。

サッカー

マイナーなスポーツなら、「もっと流行らせるには?」と聞きましたし、建築を学んだ学生には話題になっている建物について「あなたならどうしましたか?」と聞きました。

さまざまな製品やサービスに接した時に、「ふうん」で終わってしまうような人は、あまりマーケター向きではないかもしれません。 
優れたマーケターは、「これはいい」と思えば、その理由をしっかりと自問して、自分の仕事に活かせるかどうかを考えます。「いま一つだな」と思えば、しっかりと分析をして「私ならこうする」と仮説を立てます。 
それを、日々の生活のなかに自然に取り入れることは、さほど難しいことではないと思います。

もっとも、「四六時中仕事のことがアタマから離れない」と書くと悪いイメージが思い浮かぶかもしれません。しかし、慣れてしまえば、それほど負担になったり周囲の人に迷惑をかけることもないと思います。 
「フッと仕事のことを思い起こし、アタマに刻んで、パッと現実に戻る」 
そんな感じで日々を送ることは、さほど難しくないでしょう。

習慣2:自分の生活を楽しく、充実させようとする

マーケティングでは、「何かを買う」行動に焦点を当てます。そして、「おカネを払う」ことによって人々がどのように変化するかを考えます。 
だとすれば、マーケターもまた自らの生活を充実させることに関心を持った方がいいでしょう。

かつては、「優れたマーケターは買い物が好き」と言う人もいました。しかし、それは少々大雑把だと思います。「生活を充実させる」というのは、「おカネを使う」とイコールではありません。

生活のリズムを変えて早起きをしてみる。食生活を変えたり、スポーツをする。ネットを見る時間や、その内容について自分なりの目的を持つ。 
つまり、惰性で毎日を暮らすのではなく「何かのために何かをする」という発想を常に持つことが大切だと思うのです。もちろんおカネを使う時も、「それが生活をどのように変えるのか?」ということに人一倍敏感な方がいいのではないでしょうか。

生活

なぜなら、マーケティングの仕事は「売ったら終わり」ではないのです。「支払った以上の価値を感じてもらう」ことで、顧客は満足を高めるはずです。 
「マーケティングが強引だ」とか、「広告が不快である」というような声を聞くことがあります。このようなケースの共通点は、「売ればいい」という発想に染まっていることだと思います。

そうした手法に走る人は、「生活を充実させる」ことにそもそも関心がないのかな?と思います。 
マーケティングに関わらず、すべての仕事には「志」が求められます。 
「人々の生活を充実させたい」という想いがあれば、「売ればいい」という行動には走らないでしょう。

そのためにも、まず「自らの生活を充実させる」ことの意味を考えるべきだと思います。

生活2

習慣3:文学、それもできれば古典に触れてみる

マーケティングを仕事にしている人は、平均的なビジネスパーソンよりも、よく本を読んでいると感じます。社会全体の潮流やビジネスの変化に対して敏感ですし、ソーシャルメディアなどで書籍を紹介しあったりすることにも熱心です。

いっぽうで、先端の情報や知識を追っかけることで、情報が過剰になり、「いま現在」のことだけでアタマがいっぱいになってしまう傾向も感じます。 
たしかに、人の行動は変化して、世の中は目まぐるしく変わっています。しかし、根源的な欲求や、社会のダイナミズムには普遍的なものもあるはずです。

本

そこで私がお薦めしたいのは、文学に触れること。それも、評価の定まった古典を読んでみることです。 
古典というのは、単に「昔つくられたもの」ではありません。現在でも読めるものは、千年単位のトーナメント戦を勝ち残ったような作品です。 
そこには、人間の根底にある気持ちや行動がさまざまな方法で描かれています。

マーケティングの仕事をしていると、「変化」を論じることが大変に多くなります。しかし、「そんなに人は変わっているのか?」と懐疑的になることはないでしょうか?

変化

最近では「Z世代」という言葉が溢れています。きっと、何らかの情報を読んだことはあるでしょう。たしかに、過去と異なる価値観や行動は観察されます。 
ところが、こうした世代論は幾度となく繰り返されてきました。戦後はもちろんですが、さらに遡っても同様です。

たとえば、夏目漱石の小説を考えてみましょう。 
彼は1867年、つまり明治維新の前年に生まれました。英語教師として教鞭をとるかたわら小説を書き、本格的にデビューするのは1900年代、つまり20世紀になってからです。

この頃は「新しい時代が来る」という空気が非常に強かったことが作品からわかります。ちなみに、漱石の作品では「二十世紀」という言葉があちらこちらに出てきます。

夏目漱石

「二十世紀の会話は巧妙なる一種の芸術である」(虞美人草) 
「なぜだか鼓の音を聞いていると、まったく二十世紀の気がしなくなるからいい。」(三四郎) 
「現代の社会を二十世紀の堕落と呼んでいた」(それから) 
「吾輩は二十世紀の猫だからこのくらいの教育はある」(吾輩は猫である)

これは「二十世紀」という言葉だけを拾っただけのですが、前後の文脈を読んでいくと、時代の変化に直面する人の気持ちがよくわかります。 
漱石の作品では、いわゆる「世代論」も顔を出しますし、驚くほどに現代的な思考を感じることもあるでしょう。 
これは、ほんの一例ですが、現実をいくら分析しても見えてこない何かが、小説の中に潜んでいることはあると思います。 
そこから現実の世界に戻ってくると、いろいろなことがクッキリ見えてきた経験もあります。

文学に接すると、実用的な本を読むときとは異なる気づきががたくさんあります。小説を読むことのハードルが高いのであれば、詩歌もいいと思います。なんといっても「どこからも読めて、どれでやめてもいい」のですから、とっつきやすいでしょう。

文学

ちなみに、先ほどの「二十世紀」という言葉を拾い出すために、私はコツコツと研究したわけではありません。電子書籍では、わずかな金額で漱石などの全集を入手できます。そこで、検索をしてみたのです。

この連載は、これで最後になります。今回書いたことはマーケティングの仕事に「直接的に」は関係ないことかもしれません。

しかし、一見して関係なさそうなことを結びつけることができた人ほど、優れた仕事をしているのではないでしょうか。

本連載は今回で最終回となりますが、第1回~第6回で述べてきた着眼点をみなさんのマーケティング業務の参考にしてもらえれば、嬉しく思います。


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